2012年4月22日「伝道者を育てる ある夫婦」兼松 一二師 : 使徒の働き 18章18-28節

私がある時、名古屋の駅でカバンを持って階段を下っていると、私のずっと前にひとりの年老いた婦人の方が私と同じように旅行カバンを持って下っていましたが、足が相当痛いようでした。足を引きずりながらカバンを持って下っていく。丁度、そのそばを歩いていた若い方が老婦人に「手伝いましょうか」というと、婦人はほっとした顔で「ありがとう、よろしく」といって運んでいただいた。わずか5,6mの距離でしたが、助かったと思う。助けや励ましをいただくと、心が明るくなり心強く思います。

今日は、人を励ます一夫婦がでてくる。18,26節、プリスキラとアクラという夫婦です。

 

第一、18-22節より。

18節、パウロはコリントの町に長くおったあとで22節、エルサレムに帰り、伝道報告をしようと船で旅をする。その時「プリスキラとアクラも同行した」。

プリスキラとアクラは、パウロといつも共にいることによってパウロを励ました。私たちは、これまでを振り返って、どんな方に一番励まされたか。自分と共にいる人によって励まされます。パウロはこの時とても不安でした。18節、船での旅です。船での旅行は危険です。旅の無事を求めて髪を剃っている。また19節、どこへ行ってもユダヤ人がいる。この人たちを何とかしてイエスさまに導けるようにという誓いをした。それほどパウロは不安と緊張があった。そんな時、共にいてくれたプリスキラとアクラのおかげで、どれほど励まされたか。

自分が不安な時、あの方は共にいてくれた。自分が困った時、あの方は共にいてくれた。その方の存在というものはありがたい。プリスキラとアクラはパウロと共にいた。この「共にいて」という、その時のあり方はどんなものかというと、18章3節、パウロは住むところがなく困ったとき、プリスキラとアクラの家に共に住んだ。共に住んだことがあると血のつながりのある家族のような関係がある。3節、一緒に仕事をした。一緒に仕事をすると、新しいことを身につけていく。

 

私には前の教会での思い出がある。教会は木造で、そまつな造りでした。そこで礼拝堂のガラス窓の下に、化粧ベニヤを張ろうと提案した。すると教会の長老が「私が手伝います」と言ってくれました。その方は大工でした。その方と一緒に仕事をした。一緒に仕事をしていると、長老の得意とする大工仕事を私が覚えていく。私の知っている聖書の話を長老が覚えていく。一緒に仕事をしていると相手の人から仕事を覚えるようになる。プリスキラとアクラは後に26節、アポロの足りない所を指導していくことになるが、これはパウロと一緒に生活し、一緒に仕事している時に覚えたことがあったからです。仕事のできる人と一緒にすると色々なことを覚えていく。一緒にして助けることにもなるが、覚えることにもなる。

 

 

第二、プリスキラとアクラ夫婦は、他の伝道者アポロを育てていくこともした。(24-28節)

まず19節をみると、パウロはプリスキラとアクラをエペソに残して、エルサレムへ伝道旅行の報告と挨拶に行きます。そして第三次伝道旅行が23節~21章16節までと続きます。後に19章1節でパウロはエペソにやってくるが、残されたプリスキラとアクラは新しい役割を果たす。

エペソにアポロという伝道者がやってきた。アポロという人は24-25節、非の打ちどころのないほど、すべてを身につけていたような人です。アレキサンドリヤは学問の都で、ここで生まれたため彼には知識があった。弁が立ち、聖書にも通じていた。25節、主の道の教えを受け、つまり先生から正規の聖書の読み方を学んでいた。霊に燃え=活発で情熱的でした。イエスさまについても知っていたようです。イエスさまをひとりの教師として理解していた。イエスさまの教えも知っていたようです。知っていることはすべて正しかったが、彼アポロにはまだ知らないことがあった。25節「ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」この25節bが19章1-7節で拡大されて記されています。バプテスマについての理解が足りなかった。26節、何かが足りないということを感じ取ったのはプリスキラとアクラです。プリスキラとアクラは、伝道者以上のものを知っている。それはパウロとずっと一緒に生活し、伝道を共にしてきたので、すぐれたものを身につけてきたからです。アポロがすぐれているのは雄弁です。パウロはこの面で見劣りがする人でした。しかしパウロは福音の全体を知っていた。健全な福音理解を持っていた。このパウロとずっと一緒に生活してきたプリスキラとアクラは福音の全体を知っていた。

 

ヨハネのバプテスマとは何か(ルカ3:2-14)。罪の悔改めを迫ったことです。自分が犯している罪を分らずして救いを求めることはないのです。ですから自分の罪を知り、悔いることはスタートです。しかし罪を知ることがすべてではない。罪を犯して悔いる私を赦し、救ってくださる方がいる。

28節、イエスさまです。

 

このイエスさまにつながることは、どんな意味があるのか。新しい人になるのです。このことをアポロに教えたのが26節、プリスキラとアクラです。プリスキラとアクラがアポロを育てていくが、その育て方がよい。「彼を招いて説明した」

私が豊橋のホサナ教会へ奉仕に行った時、その教会の牧師から一夫婦を紹介された。「この方は私よりも若いのに、40年間も私たちを食事に招いて、その中で気がついたことを愛を持って教えてくれた。この夫婦のおかげで私は悔いたり、祈ったり、勇気を得た。」

 

「神の道(τὴν ὁδὸν)をもっと正確に説明した」招き、食事をする中で、もっと正確な福音理解を説明してくれました。プリスキラとアクラは一信徒です。信徒であっても、伝道者アポロの足りない所を見抜いて、そこを教え育てていくことをした。アポロにとって本当に励まされたことでしょう。アポロはこの夫婦を通してキリストを知ったのです。

このように信徒と伝道者によって教会が形成されていき、共に力強い信仰者になっていく。